今回は僕がどんな人間なのかを知っていただく回です。
つらつらと書かせていただきます。
プロフィールはこちらから。
地元のはなし
1995年4月に福岡県の久留米市というところで生まれました。
久留米という街は福岡県の中ではまあまあ大きな市でそれなりに栄えていて、
それでいてそんなに人で溢れていないというとってもちょうどいい街です。
名物は久留米ラーメン一択!!
とんこつラーメン発祥の地という日本で一番強力で圧倒的なステータスを持っています。
久留米市民はみんなそのプライドを胸に日々頑張っています。(少なくとも僕はそうです)
おすすめは「大砲ラーメン」🍜
本当に美味しいので福岡旅行の際はぜひ食べに来てくださいね。マジで美味いんです。ほんとに。食べてください。お願いします。
以下にリンクを貼っておきます。
楽器を始めた頃のはなし
小学生の頃は、水泳を4年間、野球を4年間、サッカーを1年間、とスポーツ少年でした。
そんな少年は6年生の時に学校の鼓笛隊でトランペットを担当。
どハマりして毎日休み時間返上で練習しておりました。
その後、中学校へ入学し吹奏楽部に入部。
当時の3年生の先輩が吹いていた「名探偵コナンのテーマ」「ルパン三世のテーマ」がカッコよくてサクソフォンパートへ。
入学して1年くらいはその二曲ばっかり練習していたので、1年生の時はコンクールメンバーになることもできませんでした笑笑
結局中学校の3年間は好きな曲ばっかり吹いていたので、ずっと楽譜も読めず、全部の音にドレミを書いていました、、。
音楽科の高校のはなし
本格的に音楽を勉強しようと思ったのは中学3年生の時のある日の出来事がきっかけでした。
特に深く考えず、家の近くにある高校を受験する感じで勉強をする毎日だったのですが、中学3年の秋頃、部活の一環で福岡市内のとある高校と合同練習をすることになりました。
そこがのちに通うことになる福岡第一高校の音楽科だったんです。
そんなに強豪校でもなかったうちの中学校がなぜ突然福岡市内まで行って音楽科の方たちと練習することになったのか、未だに謎なのですが、、、僕にとっては間違いなく人生のターニングポイントでした。(合同練習はその後は恐らく一回もないと思います)
各パートそれぞれ中学生と高校生がペアになって教えてもらう、というよくあるやつでした。
その時に教えてくれたのが某サクソフォン四重奏、A○○mの青のDさん。
僕が必死に練習していった曲を、パッとみて、パラパラ〜っと吹いてしまったんですよ、、、、
唖然。
なんやこの人!!!と思いました、、、ww
その後、僕たちが練習してきた曲をほぼ初見で高校生たちが吹いてくれまして、またそこで唖然。
終わって帰って両親に「あの学校に行く!!」と即決。
塾もやめて受験勉強もやめて、楽器の練習に全振り。
今思えばある日突然言い出した進路変更を受け入れて後押ししてくれた両親と担任の先生すごいと思いますwww
そんなこんなで音楽の道へ。母校についてはこちらの記事でも詳しく書いています。
高校時代のはなし
高校時代の記憶は部活漬けだったことが90%くらいを占めています。(恐らく卒業生のほとんどがそうかと)
毎朝7時には学校に着いていなければいけなかったので
- 5:00 起床
- 5:40 家を出る (チャリで駅へ)
- 6:08の電車にのる
- 6:45頃 学校の最寄駅着
- 7:00学校着
っていう生活を3年間毎日続けてました。
ちなみに21:00まで練習してたので家に着くのが22:30くらいだったので、家ではご飯たべて寝るだけって感じでした。
そんな生活を続けていて今度は大学どうするかというはなし。
音大に行くために東京の先生にレッスンを受けたいと思っていました。
そんな時OBとして学校にいらっしゃっていた青のD先輩に相談したところ「田中先生に紹介してあげるよ」と言ってその場で先生に電話を、、!!
ちょっと話したあと電話を渡されまして、何を言えばいいかわからず「レッスンしてください」といきなり言いました笑笑
その後D先輩の計らいで大学のレッスン日に1枠僕の枠を作っていただき、レッスンを受けに行くことができました。
その後は月1〜2回くらいのペースで東京へレッスンに。
無事に昭和音楽大学に受かることができました。
ちなみに学費免除になる給費生試験ってのも受けていて残念ながら落ちたんですが、恐らく副科ピアノでソナチネすらまともに弾けず、本番でがっつり暗譜が飛んで無音になったことが原因だと踏んでおります。
大学生活と卒業して今までの話はこちら。
他にも楽器の話を書いた記事もたくさんありますのでぜひ色々読んでみてくださいね🎷
それではまた〜。
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